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ゲームの規則 Comments (7)
何事も深刻になることもなく、貧乏人も結構平気みたい。
1939年製作、監督はジャン・ルノアール。
1939年のパリ社交界を舞台に、貴族らを風刺した作品。
既婚も未婚も無関係に、惚れた腫れたで恋愛に興じる中で、愛情、友情、階級差の「規則」は、その局面で面倒を避けるため都合良く優先されたり無視されたり。恋愛もパーティも余興も単に現実逃避の手段。
オーストリアからフランス貴族に嫁いできたChristineは、随分愛されキャラのようでした。隙が多くて優しくて、いわゆるボディタッチの多い女性なんでしょうかね(^_^;)。結婚当初から夫に裏切られていると知っても全く動じないのかと思わせて、実はかなり動揺しており、誰彼構わず愛を告白して駆け落ちを企む急変ぶり。
給仕達も恋沙汰で一悶着。一番はChristineに仕えることなんでしょうけど、Lisetteは単なるslutに見えてしまいました。ねっとりした視線と言い、食べ方と言い、Marceauは気持ち悪くて仕方なかったです…。Marceauのせいで妻も職も失うSchumacherに同情。というか、そもそもMarceauが雇われなければ悲劇は起きなかったでしょうし。
狩りのシーンでは、過去の参加者が銃の暴発で死んだことが笑い話に。うさぎや鳥を本当に殺しているようで、残酷さが際立っていました…。うさぎが息絶えるその瞬間の姿(T-T)。
このすったもんだが、どんな結末を迎えるのか、呆れながらも目が離せませんでした。
複雑に入り乱れる人間関係を各シーンに収めているのが上手かったです。
いつ練習したの?と不思議なくらい完成度の高い余興(^_^;)。
Christine役、Daliの妻Galaに似てません?
監督演じるOctaveの台詞:
「それが現代の一面さ。皆が嘘をつく。」
「挫折したと思うとやりきれない。頭の中で実現したと想像する。… 夢を見た後は少し辛くなるけど。」
たくさんの人が交錯し合い、すべてが転がるように連鎖していく。
鮮やかなその展開に見事に引き込まれてとても楽しい。
なによりも主人の紳士さに惚れ惚れ!
男の人はあああってほしい、優しく、優しく、気弱で、でも堂々と。
男女平等!と叫ぶより、ずっと自然で多様な男女の姿が麗しかった。
みんな適当で、奔放で、全ては気分次第。
それでも悩み苦しみ、泣いたり、わめいたり、だまってぐっと耐えたりする。
人間というのは、ウサギたちと同じように
撃たれてしまえば屍となる、儚い存在で、
だからこそ一瞬の人生を思うままに生きなければ、と
彼らはそんなこと考えている暇もないけど。
罵りあい、愛し合う。
同じ唇からありとあらゆる言葉が次から次へ、
現代と何ら変わらない、
人間の可愛らしさがきらきらと、
どたばたと、
ちりばめられた上品な作品に拍手!
侯爵夫妻のW不倫のお話を軸に、奥様付きの侍女も色々とお騒がせで上も下も騒動が持ち上がるというもの
たいしたお話ではありません
題名のゲームの規則とは、社交界のラブゲームのお約束ごとのことです
嘘こそが社交界の規則であると監督自身が演じるオクターブが語ります
つまり監督は虚構こそが上流階級の実態であると語っているのです
終盤に英雄が、まるで野狩で撃ち殺される兎のように粗野な森番の猟銃で呆気なく撃ち倒されます
長い野狩シーンはこの殺人シーンのためにありました
英雄はご丁寧にも毛皮のコートを手にしています
将軍は侯爵が事故として事件を処理したことを肯定してこう語ります
階級を守ったのだと
このような人間は今にいなくなるだろうとも
本作は1939年の製作ですから第二次世界大戦突入の直前の作品です
本作で描かれた社会階級は戦争を経て将軍の予想した通りになったわけです
ラストシーンはそのお屋敷から去るのは、上流階級でもなく、その使用人でもない二人の人間です
オクターブとオスカー、その二人の人間は戦後の人間と社会を象徴し予告していたのです
つまり本作はドタバタコメディの娯楽作品の体裁でありながら、実はこのような社会構造の変遷を予告していたのです
本作が高く評価されている意義はそこにあるのではないでしょうか?
カメラワークが面白く独特です
長回しのパンショットで役者を追いかけます
その映像には奥行きをつけてあり、前景の役者の芝居を写していながら、背景に別の役者達が別の芝居をはじめています
カメラが切り替わって、今度はその背景の役者達が前景となり、また長回しのパンショットで歩き回るのを追いかけます
この繰り返しで、常に画面には前景と背景の二つの芝居が同時に進行してスムーズに繋がって物語が途切れなく続いて行くわけです
このようなカメラの働きで、観客の注意をそらすことなく最後まで退屈せず厭きずに観させてくれるのです
監督の力量はやはりただ者ではないと思いました