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ザ・バニシング 消失 Comments (20)
オランダから自動車でフランスに来たレックス(ジーン・ベルヴォーツ)とサスキア(ヨハンナ・テア・ステーゲ)のカップル。
道中、多少のいざこざはあったもののフランスのサービスエリアまでやって来た。
これまでの運転の労をねぎらおうとサスキアは売店に飲み物を買いに出るが、ぷっつりと行方がわからなくなってしまう・・・
というところから始まる物語で、行方不明の彼女は、フランス人男性レイモン(ベルナール・ピエール・ドナデュー)に拉致されたことが早々にわかるが、勧善懲悪からは程遠く、そんなものの彼岸に達してしまう映画である。
とにかく、スリラーサスペンス映画という枠組みの定石のようにはじまるにも関わらず、ほっとするとか、ああ良かった・・・というようなカタルシスは皆無。
評するのが難しく、恋人の行方不明になった男に共感する間もなく、その女性を拉致する犯人の描写になり、かつ、犯人の過去や拉致を成功させるためのリハーサルまで丹念に魅せられる。
ま、捕まらないようにと、念には念を入れて、という領域を超え、なんだかバランス感覚が著しく欠如しているようにもみえる。
けれど、終盤、犯人側に立ってみると、なるほどとも思う。
が、思うのは実際的にはよろしくない。
多分に、この映画、娯楽映画から無意識に純文学的映画にシフトしていると思うのだが、シフトしたあとの描写に、観客側がとまどってしまうからかもしれない。
「純文学は特別なひとが遭遇する普通の物語を描くが、わたしが書くようなエンタテインメントは、普通のひとが遭遇する特殊な物語だ」とは敬愛するスティーヴン・キングの言だが、最終的には、特別なひとに落ち着ていしまうとしても、特別でないような感じがして、すこぶる居心地が悪い映画でした。
なお、監督自らが本作をハリウッドでセルフリメイク(『失踪』)しているが、こんな絶望的な結末ではなかったと記憶しています。
今見ると肩透かしに感じるのは私がもっと残酷でもっと衝撃的な結末を望んでいたんだと気づかされた結果だと思う。
自分にも起こりうる事件だと思うとゾッとするどころではいられない。
犯人の異常さは時に滑稽で笑いさえ起こる場面もあるけれど、本人は至って大真面目でそんな思考の人間が現実にも間違いなくいるのだろうなと思わせるくらい軽い。
これを見て全然怖くなかった。意味わからないと思った場合は間違いなく過激表現の映像作品に毒されて続けた結果だと思う。私も見終わって「あれ?これで終わり?」と思った側の人間なのだ。
うーん、最も恐ろしい映画というほどではない。
というか、じわじわと苦しめられ命の危険を感じるような分かりやすい〈怖さ〉は全く無かった。
80年代の映画の割にはカメラワークも映像の質感もチープだし、全体的な雰囲気が昼ドラ。
最初から犯人視点で物語が展開されるというのも怖さが半減した要因。殺人鬼の犯行の手順が余りに稚拙過ぎて、途中からただのコメディかと思った(笑)
ただ、「謎」について「知りたい」という人間の欲求、またはそれにより生じる苦しみを改めて考えさせられた映画ではあった。
また、一見社会的に成功した人物がサイコパスであった場合、それをどうやって人に知らしめればいいのか?という疑問もわく。
以前、監禁された少女の事件を思い出す。10代の女性が犯人のいない隙に外に出て公園にいる女性に助けを求めたら、「力になれない」と言われ、絶望してどこに行けばいいかわからなくて、結局また部屋に戻ってしまったという(再び意を決して逃げ出したが)。
助けを求められたほうは、少女を「頭のおかしい子」だと思ったのだろうか。
例えばレックスが車中から沿道の人に「こいつは殺人鬼なんだ!」と訴えても、変な目で見られるだけだろう。
そういった意味での〈怖さ〉は感じた。
とはいえ、レックスは早々に、サスキアも自分も生きて帰されることは無いと悟り、車を降りて警察に「犯人だと名乗る者が接触してきた」と通報すればよかった。殺人鬼の横で睡眠薬を飲むなんて、手の内で転がされるにも程がある。
ラストは、閉所恐怖症だと話していた犯人が、あえて自分が恐怖する行為を獲物
に与えたというところだろうか。
近年なら『ゴーン・ガール』『アメリカン・サイコ』など、いくらでもある。わざわざこの映画を見に行く必要はない。
古い映画でも、ヒッチコックや『何がジェーンに起こったか』など名作はいくらでもある。
自分の気づかない視点があるかもしれないので、墓から叩き起こしてキューブリックに「どこが怖かったのか」と問うてみたい気持ちになった。
あ、犯人が「サスキアをレイプしたのか?」と聞かれて馬鹿にするな!と逆ギレしたときはこいつやばいな、とは思ったけどね。
でも、同じ場面を色々な角度で掘り下げる手法 見馴れているし、作られた時代に見たかった。
むしろ「忽然と恋人が消えた」という心の穴を突きつけられ、そこに「何らかの事情を知る男」のコミカルにさえ思えるほどの飄々とした日常と思考を対比していくことで、本作は実に不気味な手触りと陰影を生み出していく。冒頭のトンネル内の映像は実に象徴的だ。
気付かぬうちに徐々に引き込まれていく流れ、真相を知らずにいられなる心理的作用に、唸らせられる。もしかすると『セブン』などの後続のサスペンス作はこの影響を多少なりとも受けているのかも。