名もなき生涯
プロット
アメリカ・ドイツ合作
Feb,21 2020 In Theaters
マンデラの名もなき看守
プロット
フランス・ドイツ・ベルギー・イタリア・南アフリカ合作
May,17 2008 In Theaters
BALLAD 名もなき恋のうた
プロット
日本
Sep,05 2009 In Theaters
名も無き世界のエンドロール
プロット
日本
Jan,29 2021 In Theaters
とてつもなく大きな
プロット
日本
Apr,24 2021 In Theaters
墓場なき野郎ども
プロット
フランス
Nov,08 1960 In Theaters
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名もなき歌 Comments (14)
1988年8月、郊外で暮らす先住民の妊婦のが、街頭で流れるラジオで妊婦と出産の支援をする産院があることを知り、訪れた産院で…。
ストーリー的には正にあらすじに記された通り、もぬけの殻となった産院を訴え様としても相手にされず、新聞記者に訴えかけてと展開していくけれど…確かにサスペンスな内容ではあるけれど、寄り道が多く、その部分では雰囲気作りの為かテンポもまったり。
どのくらい時が経った体かわからないけれど、いきなり記者の取材が進んでいたり、ラジオで事件のことが流れたり…ここで語られてる記者はペドロのこと?
旦那の「仕事」のこととか嫁のリアクションとか、娘に関しての動きとか、事情がわかって諦めの境地ってことですかね…サスペンスというよりもペルーの世情や国民の事情をみせるドラマという感じがした。
心の隅に引っかかる何かを残す
地球の裏側の因縁浅からぬ国 負の遺産と課題
我々の鏡像
舞台は1988年で、日本で良く知られたフジモリ大統領の当選の少し前のようだ。
主テーマは3つあると思う。国際的な乳児売買、極左ゲリラによるテロ、そして“有権者登録証”をもたない先住民に対する冷酷な扱いである。
そこへ伝統の「ハサミ踊り」、政界や法曹界の腐敗、経済危機と“ハイパーインフレ”、そして“同性愛”が絡んでくる。
記者カンポスは、ジャーナリストとして、タブーに切り込んでいく。
(なお、“インディオ”という言葉は、侮蔑的な響きがあるため使われなくなっているらしい。)
こう書くと、“社会派映画”のようだが、しかし実際は、“シネポエム”と言っても良いアート系作品の側面を併せ持つ、中途半端な作品である。
なんと言っても、暗いシーンが目立つ。
白黒映画なので、よく映画「ローマ」と比較されるようだが、本作は「ローマ」のような明るくてシャープな映像美とは、全く異なると言って良い。(映画館の大スクリーンで「ローマ」を観ない限り、分からないと思う。)
暗さによる沈んだ色調を意図的に使って、静止画のような構図と、ゆったりしたカメラワークで映像を紡いでいく。
色がないので、背景が海や湖や川なのか、砂漠なのかよく分からないことがある。
関係する舞台は、さまざまだ。
主な舞台は、ペルー中部の海に面した首都「リマ」。ヘオとレオの小屋は山の斜面にあり、街の市場には、長い距離を歩いて通っているにちがいない。レオは「ハサミ踊り」の名手だが、そんなことは全く収入にはつながらない。
ヘオとレオのルーツは、「アヤクーチョ」という南部の県にあるようで(「アヤクチョ共同体」という横断幕が出る)、そこは「センデロ・ルミノソ」という極左武装組織が、当時、勢力を誇っていた地域だ。
そして、リマに次ぐ乳児誘拐の舞台は、北部の「イキトス」というアマゾン川最上流の、ラグーンや小さな湖に囲まれた堆積地である(「陸路では行けない世界最大の町」で、現在は観光地らしい)。水上の建物が目を引くが、ストーリーとは全く関係ないので、それらを映したいだけかもしれない。
このように、“社会派映画”とは言い難い側面をもつ映画である。
実際、乳児売買問題は、あっさりと明るみに出て、それでお終いだ。
貧窮したレオが、ゲリラ組織に仕事をもらってテロ行為を働くが、映像は暗示的で何が起きたかよく分からない。実際の武装ゲリラは、この映画どころではないはずだ。
“同性愛”に至っては、なぜストーリーに組み込まれたのか、自分は全く理解できない。当時の社会問題だったのかもしれないが、本筋と無関係なのに、無意味に尺を割いていると言わざるを得ない。
ラストは、赤ん坊を失い、夫をテロ容疑者として失い、住む家までも失った、ヘオの歌で終わる。
自分は最後まで観ても、邦題の「名もなき歌」の意味が分からなかった。
ヘオのような、社会的に“有って無きがごとき存在”による歌という意味だろうか? もし「nombre」が”曲名”ではなく、”人名”の意味だとすれば、邦題はひどいミスリードを犯していることになる。
議員は、記者カンポスに吐き捨てる。「何も与えられない母親と一緒にいて、子供は幸せか?」と。
だが、そういうヘオの境遇だけにフォーカスした作品ではない。
心にしみる良い作品だが、色調だけでなく内容もはっきりしない、グレー(灰色)で中途半端な映画だった。
- 序盤は、淡々としたトーンで哀しき出来事が描かれる。だが、懸命に産んだ我が娘と一度も会えずに引き離されたヘオが、執念で新聞記者ペドロの協力の中、我が子を探す姿と共に、当時のペルーの諸問題が明らかになって行く過程に引き込まれていく・・。-
◆感想
・当時のペルーの政情不安から発した、ハイパーインフレ、先住民蔑視(ヘオとレオ夫婦には、有権者番号がない。それ故に、役所や警察で相手にされない。)、テロ、同性愛者でもある新聞記者ペドロへの脅迫状に書かれていた言葉に暗澹とした気持ちになる。
ー 現在、世界各地で行われている事と、余り変わっていない・・・。ー
・暗澹たる気持ちを増幅させる、権力者、小役人達のヘオを含めた貧しき人々に対する愚かしき姿。
ー これも、又、現在と余り変わっていない・・。ー
・そして、レオは、金のためにテロ活動に参画していく・・。
ー これも、テロが頻繁に起きている地域の現状と同じである。ー
<哀しく、恐ろしい物語であるが、少しづつ、少しづつ引き込まれていく。それは、モノクローム画面に映し出される、ヘオやレオを始めとする貧しき人々や、彼女を助ける新聞記者ペドロの姿から発せられる怒りが鮮明だからである。ラスト、未だ見ぬ娘を思いヘオが歌う哀切なメロディと表情が印象的だった作品である。>