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人情紙風船 Comments (8)
会話の面白さに動きが付くんで二倍楽しめる。
生死に関して時代背景に結論を求めるのは単細胞過ぎ。死を絶えず意識するのは時代も年齢も超えて当然の事。
成る程名作として多くの日本映画オールタイムベストのリストに必ず挙げられているだけあると思います
その味わいはルネ・クレール監督の名作巴里祭に近いものがあります
もちろんその作品のような恋愛を扱ってはいません
しかし大江戸の空の下に庶民の暮らしがあり、それぞれが懸命に生きていて、ドラマがあり、そしてまた明日も明後日もみな生きていくのです
巴里祭は本作の4年前の1933年の作品ですから、山中貞雄監督はそれを意識して撮ったのかも知れません
貧乏長屋の連中のシーンは女房どもも含めて、落語の世界のようですが、映像として表現されるその動き、会話、表情など、ジブリの宮崎駿監督の天空の城ラピュタなどの庶民が登場するシーンの元ネタになっているのではと思わせる濃密なものです
80年以上昔の戦前の映画ですから、映像は傷んでいます、音声も聞き取りづらくなっています
しかし撮されている映画そのものは現代のものよりずっと内容は優れているものです
セットの美術、衣装、脚本、役者たちの演技
カメラの構図、カット割
何もかも見事なものです
特にラストシーンの新三の結末を語らず、心中の有り様を見せず、大家を呼びに走る子供と溝の水に浮かぶ紙風船のシーンで終わるのは、巴里祭のパリの下町の街並みを俯瞰するラストシーンにも勝る余韻があります
どぶの水のような浮き世に浮かび、流されていく紙風船は貧乏長屋の庶民の暮らしを俯瞰している名シーンでした
紙風船がどぶに浮かぶのも、そこに暮らす人々の人情の息で膨らんでいるからなのです
このような優れた作品が戦前に作れる実力があったからこそ、後年の日本映画の世界的な高い評価をもたらしたのだと思います
もうこの時点で世界最高峰のレベルだったのです
山中貞雄監督は1909年の生まれですから、黒澤明監督のひとつ年上でしかありません
僅か28歳、戦地で病死して本作が遺作にならなければ、戦後はきっと黒澤明監督や、溝口監督らに負けない世界に誇る名作を量産したに違いないと思います
本作は世界的な再評価を受けるべき作品だと思います
極めてドメスティックで日本的なようで、グローバルな普遍性を持っていると思います
是非4Kでのリストアと海外への紹介を関係者の皆様にお願いしたいと思います
前進座総出演と言うことで、戦後の前進座の共産党との関わりから、本作の評価を高い下駄を履かせたものではないかと色眼鏡で見ていた自分を恥ずかしく思います
貧乏長屋に暮らす庶民たち、ある朝そこに住む老いた浪人が首をくくって死んだと知り、ボンクラな住人たちは迷惑そうに言い合う「なんで首を? 侍なら腹を切るもんだろう」「バカ、あいつが腰にぶら下げていたのは竹光だよ」と(大意)。
一撃で作品全体の世界観が伝わるセリフ。なんつう脚本。不勉強にして歌舞伎の元台本の時点であるのか知りませんが、とにかくうますぎる。。
この会話から、洒落者の髪結い新三と、清貧を地でいく浪人の又十郎を軸に、町人と侍、やくざ者とが絡む悲喜劇が展開していきます。
画づくりはきわめてモダンで、このまま舞台だけを現代の東京に移しても、たぶんまったく古さを感じず、普通に観られるな、という印象。
80年も前の作品のはずなのに、違和感のなさにむしろ違和感を覚えるレベル。
冒頭から、なんでこんなにしっくりくるんだろう? と驚く間もなくドラマに引き込まれました。スピルバーグか。
ストーリーはあまりに身近でやるせなく、でも湿っぽくなく切れ味鋭い。みんな貧乏のせい。
こんなに身につまされるのは、製作された昭和初期が、大恐慌のあおりを受けて現代の日本と似たような世情だったからかも知れません。
追い込まれていく住人たちがだんだんスイミーに見えてくる、お江戸版「万引き家族」。
個人的に又十郎を冷たくあしらう毛利様の言い回しは、我らがPMを連想しました。
映像や音は観られないレベルではないものの、痛んではいますので、今回の4Kリマスター版のように修復を経て、カジュアルに鑑賞されるといいなと思います。
ぜんぜん小難しいところはなく、オーソドックスで普遍的なドラマなので。
これを20代で作った山中貞雄監督は若くして天才と呼ばれたそうですが、今回そりゃ誰だってそう言うよ、普通にと思いました。
オーバーテクノロジー的な映像リテラシーの高さは一体どこから…?
きっと私が知らないだけで、戦前の映画文化はずっと豊かだったということでしょう。
そういう人たちも、才能の芽も、生まれていたかも知らない文化的財産も、あの戦争に数えきれないほど飲み込まれてしまったんだな。
ラストの衝撃的切なさが、かくも観る者の心に迫ってくるその理由を知るために、少なくとももう数回は見返さねばならない。
主人公・海野又十郎は愚図な男なのだが、誰も彼を卑下したり、非難したりすることはできない。なぜなら、彼は侍としての矜持のみで生きているような男だからだ。
質屋の娘が長屋に連れてこられたことで、毛利何某との交渉のカードを手に入れたはずなのに、そっちのほうへは少しも動かない。娘を少しの間かくまったことへの謝礼すら拒もうとする。
しかし、謝礼を受け取ってしまったことで、彼の矜持は崩れ去り、生き方を失くしてしまうのだ。生き方を失くす。そうとしか表現のしようがない物語を、単純なペシミズムに陥ることなく、庶民のしたたかさとの対比でもの悲しさを際立たせている。
同じく河原崎長十郎主演の「河内山宗俊」の魅力とならぶ山中貞雄の大傑作である。
戦死という山中監督の悲劇は日本映画界の悲劇でもある。もっと多くの作品を残して欲しかった。