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晩春(1949) Comments (20)
定番の嫁に行くやら行かぬやらの話。本作が始まりなのだとか。適齢期になれば女は嫁に行かねばならぬ、当時の文化ですね、いやこれは今も色濃く残っている気がします。
嫁に行くより父といたい娘、しかしそれを許さぬ文化。父の気持ちも複雑です。
見どころ
・嫁入りが決まっての親子最後の旅、娘がコクリます。どきどきです。
・ラストの父。結局お前もか。
見ようによってはヤバイ映画。壺が映るシーンに性的な論争があるようです。?。
特に大きな事件が起こるわけでもないのに見入ってしまうのは『東京物語』と同じですね。不思議な魔力です。これで紀子三部作、二作制覇。『麦秋』が楽しみです。
「デジタル修復版」Blu-rayで2回目の鑑賞。
なかなか嫁に行こうとしない娘を心の底から案じる父。
自分が結婚すれば父親がひとりぼっちになってしまうと心配する娘。
…どこにでもいそうな父娘ふたりの関係性を通して、“結婚”というイベントから見えて来る家族の姿を描いた感動作。
舞台となる晩春の鎌倉の風景が画面に冴え渡っていて、登場人物の傍に静かに寄り添っているかのように感じました。
原節子の“小津映画”初参加作品です。
本作を機に、数々の作品でタッグを組んでいます。
小津安二郎監督の映画に欠かせない女優さんのひとりですが、監督のつくり出す世界観に誰よりも相性がぴったりのような気がしました。まさに、小津監督が見出だした“ミューズ”、ということでしょうか? 彼女に寄せる信頼が、画面越しに伝わって来るように思いました。
その“信頼”は公私に渡ってあったということが当時噂されたようですが、真相や如何に…? 小津監督が死去したと同時に原節子が銀幕から姿を消したことも、ふたりの監督と役者を超越した関係を感じますが…。
―閑話休題。
そんな小津監督のミューズ、原節子が優しく健気な娘を好演していました。
自分の意に反して父が自分が嫁に行くことを何とも思っていないと誤解して憤慨する姿などが、原節子自身が持つ純粋さと結び付いているようで、素晴らしい演技として結実しているなと感じました。
月丘夢路が演じる親友との“ガールズ・トーク”も見物でした。本音を包み隠さず言い合える…そんなふたりの関係性にホッコリし、昔も今も女性の抱く悩みや喜びは変わらないのかもしれないなと思いました。
笠智衆が穏やかで少し不器用な父親を演じています。
彼も小津作品には欠かせない役者さんですねぇ…。“棒”と言われそうな演技が、何とも言えない深い味わいを持っていて、独特の作品世界をつくり出しているように感じました。
娘の身を案じながらも、娘に甘えていた自分を省みました…。後妻を迎えるからと、無理に結婚を勧める姿に、身を切られるような想いを抱きました。ラストのえも言われぬ表情が、止めどない涙を誘いました。
【余談】
この父娘の関係が近親相姦めいているという考察をネットで拝見しましたが、確かにそんな気もしました。娘の父への執着も裏を返せば…と想像してしまいました。
結婚前最後の家族旅行での旅館で過ごす一夜。ふたりの会話の後に映される床の間の花瓶がその象徴ということらしいですが、まだよく理解できないのでもうちょっと勉強します(笑)
長屋の映画もあったが、あつかうひとたちは、裕福が多いのではないかと思う。
いちばんゆうめいな東京物語にしても、貧乏ってわけじゃないが、やや庶民かと思う。
長男は医者とはいえ町医者である。長女は美容院をやっている。みんな忙しくて、葬儀が終わったらとっとと東京へ帰ってしまう。次男は戦死しており、紀子はお隣にお酒を借りに行く、質素な未亡人だった。
晩春の父娘はもっと裕福である。
衣食足りて礼節を知る、と言うが、人間のもんだいを描くために、最低のことは満たしておく必要があったのだろうと思われる。
中産階級になって、はじめて家族の諸問題は見える。それより貧困ならば、もっと別の悲哀になってしまう。だから、小津安二郎の人たちは裕福なのだろう。と思う。カラーになると裕福がさらにアップした。
わたしは祖父や父から、あるいは昔の人たちから、戦後が貧乏とイコールな印象しか持っていない。だけどその感じが小津安二郎にはない。自身が復員して間もないのだが、映画には戦争の気配を介入させなかった。
晩春は1949年で、大局的にみると、戦後まっただなか、社会が混乱しているなか、娘が嫁に行く話なんて、ゆうちょうだなあという批判が、あったという。
一方で、戦争はおわったわけだし、戦争から離れて、家族の問題に向き合うのはさすがだという称賛も、あったという。
紀子三部作と言われるものの最初で、紀子は父と鎌倉に住んでいる。三部作といえども繋がっているわけじゃなく、それぞれ別個の話だが、原節子が紀子という役名で、三回やってるから紀子三部作だそうだ。
よくしらないが、鎌倉に代々住んでいる──なんてひとは裕福であろうと思う。
「ここ海近いのかい?」
「歩いて14、5分かな」
「ああいいとこですね、こっちかい海?」
「いやあこっちだ」
「ふうん」
「八幡さまこっちだね?」
「いやあこっちだ」
「東京はどっちだい?」
「東京はこっちだよ」
「すると東はこっちだね?」
「いやあ東はこっちだよ」
「ふうん、昔からかい?」
「ああ、そうだよ」
<二人笑い>
「こりゃあ頼朝公が幕府をひらく訳ですよ。要害堅固の地だよ」
父役の笠智衆と叔父役の三島雅夫の会話だった。
八幡さまとは鶴岡八幡宮であろう。家に、縁側があり、庭がある。そこが涼しげに開かれている。歩いて14、5分ならば、ときどき潮風=海の香りもはこんでくるだろう。
主人が着物をきて居間で来訪した叔父をもてなしている。
女たちはかしましいが、男女の地位には封建制がある。
父娘だって、いまから考えりゃ堅苦しい。
父が叔父と相酌しているんだが紀子が燗をつけたのを「すこしぬるいな」「あら、じゃあ」「いやいい、あとの熱くして」なんて言う。いまの娘ならおやじ自分で燗つけろよと言うだろう。
嫁入りのまえに、父娘と叔父夫婦で、京都へ旅行する。
旅先で父娘が床を並べて寝る。
カメラが部屋の床の間の壺をあんがい長くとらえる。
そのシーンが論争をもたらした。とwikiに書いてあった。
壺は陰部をあらわし、はっきり父娘のインセストの映画と言ってる論者もいるようだ。
そんな風にも読めるが、それらはもちろん、うがちすぎである。小津安二郎がインセストの映画を撮ろうとしたはずがない。
息子が母にあこがれる、娘が父にあこがれる、それは普遍なことだ。
外国の論者は父娘が床を並べて寝る旅館のシステムに奇異を感じたのかもしれない。
むろん、いまの父娘は、そんなことはしない。
晩春は東京物語につぐ人気や知名度がある。
海外の研究者も多い。
そして壺のカットは、メタファーや寓意を、論争させるほどに、やや長かった。
が、晩春は紀子の婚前ブルーと、残される父の寂しさを描いた映画である。
それらは、宇宙人でもわかるほどに、丁寧に描かれているが、個人的には東京物語に比べると通一遍な感慨しかない。
いんしょうに残ったのは上述した父と叔父の会話と、彫像のようにきれいな月丘夢路だった。
そもそもいまわれわれが小津安二郎をみて、どうこうというのはない。
ただこれらの普遍な映画世界が価値の高いものだということは百姓のわたしにもわかる。(気がする。)
よく思うのだが外国人にsunny smileと評される原節子の笑顔は、個人的な見地だが、とても無理笑いであると、かんじる。
こんだけ無理な笑いもないだろう──ってくらいな無理笑いなひとだと思う。
なんか見ていて痛々しいのである。このひとが笑っているだけで、哀しくなる。
原節子が引退した理由は、演技をすこしも楽しんでおらず──ただわたしは家族をサポートするために、ながなが我慢して銀幕のスターをやってきたんだ──もうやめさしてください。というものだったそうだ。
1960年代に40代なかばでやめ、そこから半世紀経った2015年に95歳で亡くなるまでインタビューも写真も拒否し世界から永久に背をむけつづけた。
そして、そんな隠遁生活をおくるであろうっていう気配は、晩春にも麦秋にも東京物語にもある。なにしろ笑っているだけで痛々しいんだから、無理強いしている気がするんだから。
終の住処は晩春とおなじ鎌倉だった。
きっと楽しく豊かな孤独を過ごしたのだろうと、希望的観測している。
小津安二郎映画の別のも考えたが、そちらは、貧困で人妻が身体を売るという話で、(私は当然否定する立場だが)今朝の気分では重い感じがして、『晩春』のほうにした。映画も2時間前後あったりするので、休日に1本観ようとするのも、他の事も計画しているとなると、大変な贅沢でもある。早朝5時すぎから7時には観終えようと観始めた。ネット時代でもあるし、調べて書くか、調べないで書くかというので違っても来るのだが、昭和24年というと、戦争終結後4年。このタイミングの時代はどういう感じだったのか。オープニングは多くの女性たちが集まっての茶会で、穏やかな雰囲気で進行している。流れている音楽が現在の映画ではあり得ないだろうという感覚である。DVDで観始めたが、どうも一度観てはいたかも知れない。だが、ほとんど忘れてしまっている。鎌倉が舞台のモノクロ。たしか下から撮るのも特徴だったか。父の威厳はあるのだがソフトである。家族制度は今より当然しっかりしていた時代だろうが、決して父が威張り散らしていただけの家庭では無かったのは記録されているだろう。だいたい家族制度を悪く言う人は、その人の両親とうまく愛情関係が持てなかった個別の体験を復讐のように社会に浴びせるようなものだと私は思っている。愛情ある家庭は喧嘩はあるにせよ、誰かが誰かを看取るまで続くし、そのほうが人間らしいに決まっている。(こうなった時代からは介護施設との関係という問題もあるが)◆やはり一度観てはいる。忘れていたのだが、薄っすらと場面場面がほんの少しずつ想起はされる。しかしどう終えるのかもまったく覚えていない。おじさんと語るシーンがあるが、おじさんの再婚を、笑いながらもなんだか不潔だわと言うような、主人公の女性の感性が、現在の女性にはわからなくなった貞操観なのだろう。ここに現在の問題へのヒントがあるはずだ。主人公、紀子は父娘の家庭らしい。おそらく父は妻に先立たれている。作家らしい。(調べたら大学教授だったか)◆昭和24年当時は親子親戚の関係がしっかりしていた事もあり、紀子の叔母さんだろう、見合いの一歩前のような話を持ち出すが、紀子の懸念は父が一人暮らしになってしまうのではないかという危惧だった。現在の女性たちとは結婚に迷う気持ちの選択面から違っている。紀子は再婚が汚いと考える貞操観があるくらいなので、父親に叔母からの再婚話があると複雑な心境になる。とても不器用な時代教育の生んだ感性だが、一面凛とした女性というのはこういう感性で作られていたのではないか。男性にも妾を作っているような男性ばかりでは無かった。誠実な父娘である。なぜ揺らぎ乱れた家族出身者の言論のほうが優位に立たせた時代推移をしたのだろう。◆(ただ原作者の広津和郎は何人も愛人や妻を替えた人物だったらしく、小津安二郎は結婚しなかったようなのだが、そこら辺の原作者と映画監督の境遇、思考からのせめぎ合いがあったか。もちろん、私が観ているのは映画のほうだから、小津の感性のほうに変えられているほうがインプットされているはずだ。◆現在の女性達が結婚しないのと、この映画で紀子が父親が心配だからという理由と、どこが違うのかもヒントか。映画では、父が再婚すると語ったために、紀子がショックを受ける。(紀子を嫁に行かせたい父の噓だったのか?)現在では、母娘との癒着を指摘する話は幾つか出ているようだが、現在風のこの視点は一体何か?美的には、父娘とのコンプレックスのほうが、母娘とのコンプレックスよりも美的な気はする。◆いずれにせよ、心配してくれて見合いを持ってくるおじおばのような関係性も貴重だった。◆ただ、紀子もいざ見合いをしてみると、心理が急転して、相手に対して悪くもない印象を親戚で同級生なのか、その女性に語る。その女性が語るには、もじもじして好きな人に告白も出来ないあなたみたいな人は見合いが似合ってんのよ。みたいなセリフがある。見合いという選択は大事だったのだ。恋愛結婚至上主義のような偏りが現在の不幸を生んでいる。婚活にしても恋愛色が強い方法だ。ピンポイントで紹介で覚悟を持っている感じが大切だと思う。◆父娘家庭ゆえだが、父娘とで一緒の寝室で寝ているシーンがあるが、ここが現在の人達にはわからなくなった面だとも思う。俗に言うツッコミどころというわけだろう。ここを考察するところにヒントがあるかも知れない。(これは、娘の結婚を機に、記念に父娘と京都に旅行に行ったシーンか)◆これはマザーコンプレックスに対するファザーコンプレックスとだけ科学のように単純化してしまうと考えにならない。◆笠智衆さんが演じた父親はこの時56歳。「結婚してすぐ幸福にはならない。幸福を作り上げていくところに結婚の幸福が生まれる。そしてはじめて本当の夫婦になれるんだよ。」◆なぜこの映画が作られた昭和24年から、家庭を家族を夫婦を日本は壊す方向を取っていったのだろうか。◆紀子が嫁いでから、痩せ我慢していた父親の寂しい気持ちが描写されて映画が終わる。
舞台は鎌倉・京都と古都ですが、東京物語のイメージが強く残っていて、被っている俳優陣のキャラも自分の中で少しダブってしまいました。でも、原節子さんだけは別人で、一線を画した存在感です。
娘の将来を案じる父親の辛い気持ちは伝わるのですが…。
当の娘のほうは、結婚をしたくないのか、単に父親の側で甘えていたいのか、父親の再婚が嫌なのか、理由は全部なのでしょうが、ここまでお嫁に行くことを嫌がるのが不思議でした。よく知りもしない人と結婚するのは当時珍しくなさそうですけど…そんな現実が嫌だったのでしょうか。
映像で色々な女優さんの花嫁姿を見ましたが、原節子さんの打掛姿が最も美しかったです。
繰り返し寄せる波のように、積み上げた人生の幸せは浜辺に少し跡を残し、また新たな幸せが重なっていくのですね。