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さびしんぼう Comments (20)
当方50過ぎです。初見はまだ学生でした。そのせいか藤田靖子の白塗りの顔しか印象に残っておらず、出川哲朗の某番組で尾道を旅する時に連絡船に乗るところでこの映画のことに触れ、とても大好きな映画と言っていたことに驚き、そのシーンは記憶に残っていなかったので、今回見直して確かに連絡船に乗るシーンがあることを確認しました。聖地巡礼する人は間違いなくこの連絡船に乗るのでしょうね。
他の人のレビューで英語の先生のスカートが3回落ちるところと主人公の母親の様子がおかしくなったことが学校中知れ渡り、みんなが様子を見に来る辺りについて不快、そのためこの映画の評価自体が★1という人がいました。確かにこの辺りはのシーンは時代を感じました。このころは香港映画でもそうですが、無意味に女性を性的に軽く扱ったりするシーンが散見され、同じ女性として当時から不快に思ったものですが、この映画が作成されたとき、監督は47歳、当時のこの年齢の男性の思考が良く反映されていると思います。当時は今ならセクハラと言われる行為が普通に行われている時代でしたから。また学校生活の描写がドタバタすぎてかなり興ざめしてうのも事実。終盤、あこがれの少女が長い髪を垂らして赤い着物を着ている姿も監督の中にあるあこがれの少女像を表現していると思われます。当時(1985年)でも普段の買い物に若い人が着物を着ていることはまずありえませんでしたから。
しかし、そういう描写を上回る感動が終盤押し寄せます。それまで一切のセリフを語らなかった父親が息子にお風呂の中で語るシーンに、落涙してしまいました。たぶん結婚していない人にはこの場面が十分に咀嚼できないのではないかと思われます。この映画の良さがわからない人はそういうことだと思います。
ただ、私としては悲恋に終わると思われたこのストーリーがハッピーエンドに終わることには少々納得が行きません。「別れの曲」がこれだけ繰り返し流れるというのに?それは母親の青春の方の結果であって、主人公とは別ということでしょうか。思うようにならなかったからこそ永遠に思いが残る、そんな映画にしてほしかったと思うのは私だけでしょうか。
大林宣彦監督1985年の作品。
“尾道3部作”の第3作目。
寺の息子のヒロキは勉強嫌いで毎日母親や学校の先生を困らせてばかりの高校生。
カメラが好きで、望遠レンズ越しにピアノを弾く名も知らぬマドンナに想いを寄せ、いつしか“さびしんぼう”と呼んでいた。
そんな彼の前に、“さびしんぼう”と名乗る不思議な少女が現れた。ピエロのような白塗りメイクの“なんだかへんて子”。
ヒロキの母が“さびしんぼう”を叩くと自分が痛がり、ヒロキの母の事を自分のように知っている“さびしんぼう”。
ふとした事でマドンナの“さびしんぼう”とも知り合う。
ふたりの“さびしんぼう”とヒロキの、交流と仄かな恋と、別れ…。
大林監督が本作に特別な思い入れがあるのは見れば分かる。
まず、タイトルの“さびしんぼう”とは監督の造語。広島弁でわんぱく男の子を指す“がんぼう”を女の子に置き換えた造語とか。
それを基に構想し、『HOUSE/ハウス』の前後から映画化を熱望。
一応原作はあるが、原案程度で、ほぼ監督のオリジナル作。
開幕のスーパーにある通り、痛ましくも輝かしい、わが少年の日日に捧げた、自伝的作品。
だからか、ずっと舞台にしている尾道の風景も、群を抜いた美しさを感じる。
そこを舞台にしたノスタルジックな青春ファンタジー。
わが故郷と少年の日日へーーー。
我々映画ファンにとって、尾道は現実と非現実が入り交じるリリカルな世界。
コミカルなシーンは漫画みたいなドタバタだが、誰にも覚えあるやんちゃだったあの頃を思い出させ、愛おしい。(それにしても、こんなにキ○タマを連呼する映画もそう無いのでは…?(^^;)
ふたりの“さびしんぼう”との別れのシーンは本当に切なく、涙ナシには見れない。こういう出会いと別れがあっての青春。
コミカルなシーンは映画的に楽しく、切ないシーンはまるで詩の如く。
それを、ショパンの『別れの曲』が情緒たっぷりに。
冬の尾道が舞台だが、温もりを感じる。
ラストもとても温かい。
『転校生』が大林監督心の映画ならば、本作は大林監督自身の映画。
やはり、尾道映画では一番好きだ。
『転校生』では女の子演技、『時をかける少女』では引き立て役。本作では実質主役で、尾身としのりの自然体の好演。
そして勿論、大林映画=ヒロインが輝く映画。
富田靖子のKO級の魅力!
麗しの“さびしんぼう”と不思議で快活な“さびしんぼう”の一人二役。
どちらも最高だが、敢えて指名出来るなら(←コラッ!)、快活な中にも悲しさ滲ませる後者の“さびしんぼう”。
他キャストもこれまでの尾道映画を彩ってきた面々。
無口だが優しい父・小林稔侍、学校の先生・岸部一徳、本物の親子のようにそっくりな樹木希林&小林聡美。尾身と小林と富田が集うシーンは、さながら大林版『アベンジャーズ』!?
中でも、母親役の藤田弓子。わんぱく息子に振り回され、顔を合わせればガミガミガミガミ勉強勉強!…の肝っ玉母さんだが、愛情深く、ひしひしと。
富田もそんな“母さん”を魅力的に。
男の子にとって母親はずっと理想の女性(ひと)。
ひょっとしたら本作は、大林監督が母親に想いを寄せた、究極のマザコン映画であり親孝行映画なのかもしれない。
“さびしんぼう”だった僕。
“さびしんぼう”だったあの娘。
“さびしんぼう”だったあの頃…。
いつまでも“さびしんぼう”では居られない。
いつかは“さびしんぼう”と別れの時が。
そして“さびしんぼう”は大人になっていく…。
我が家にあった監督作をかき集め、連日鑑賞。
『別れの曲』が奏でられる本作で一応の終わり。
でも、これっきりじゃない。
さよなら。
ありがとう。
またね。
●過去の恋への優しい眼差し
●少年の切なくも美しい恋の輝き
大林監督作品は、とにかく風景が美しくかつ懐かしい。あの美しい風景を映画の中に残しておいてくれたことが、こんなに大切なものになるとは当時考えてもみなかった。
話も、青春時代がフラッシュバックしてくるような内容で、ニヤニヤしてしまった。
ショパンのピアノが暫く耳の中に残りますね。
とても素敵な作品です。
今作はもう何回目かの鑑賞ですが、大林監督を偲んで改めて大林作品を見直しています。
とにかく、監督はとてもロマンチスト。『異人たちとの夏』でも若き日の母親と主人公が同じ時を過ごしていましたが、今作もそれは同じ。監督は、一生自分とは恋愛関係にならない母親と作品を通して恋愛しているのかな?と思います。それくらい、愛しているのですね。
35年も前の作品なので、今鑑賞すると?なところもあり評価は色々と割れていますが、私はこの時代の尾道の風情と文化を残した貴重なフィルムだと思います。『奥ゆかしい』が分からなければ、百合子みたいな子と言えばいいかもしれません。
別れの曲を初めて聞いたのも、今作です。小学生ながらとても悲しい気持ちになりましたが、今では大好きな曲です。監督のおかげですね。
『男の子っていつでも母親に恋してるものなのよ』