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カティンの森 Comments (12)
やっと1990年にゴルバチョフがソ連のNKVDが大量虐殺をしたことを認めた。
日本が犯した中国/韓国への戦争犯罪を思い起こさせる作品だった。
しかし、映画はカティン事件そのものではなく、事件の犠牲になった将校の家族たちの物語だ。だから、観る側は最初、少し肩透かしをくらったような気分になるのだが、物語が進むにつれてワイダ監督の演出意図がわかってきて、画面から目を離せなくなってくる。
この映画の中で印象的なのは、ナチス・ドイツが敗れ去り、かわってソ連がポーランドを支配するようになってからのカティン事件への関わり方だ。ソ連は、カティン事件はドイツ側としていたが、ポーランドの民衆のほとんどはソ連の仕業であることがわかっていた。だから、カティン事件がソ連支配への服従の踏み絵、となっていたことには、かなり驚かされた。カティン事件を口にできなかったこととは、戦後ポーランドが暗いトンネルの中を歩んできたのを意味しいたことを、ワイダ監督は物悲しく、切実に描いている。「灰とダイヤモンド」以降、ワイダ監督が語ってきたポーランドがポーランドであり続けることの難しさを、この作品でもよりしっかりと観せている。
この作品の中で、古い映画ファンが思わずニヤリとするシーンがある。それは「灰とダイヤモンド」の主人公の青年マチェックに似た若者が、少しの間だけだが登場するのだ。支配体制に敢然と挑戦するマチェックは、若い頃から変わらないワイダ監督の熱い心の象徴なのだが、それを再び登場させたのは、ワイダ監督がカティン事件の映画製作への執念を表現してみせたように思う。そして、そのマチェツクのような青年たちによって現代のポーランドが立ち上がってきたことも、ワイダ監督は忘れさせないようにしたかったのだろう。
ラスト、カティン事件で死んだ将校が残した日記が、人の手でなく、一塵の風に吹かれてろめくれていく。その孤独さは、現代への警鐘のように感じた。ワイダ監督がひたすら、戦後ポーランドを描いてきたのは、革命によって生まれたソ連がそうであるように、民衆によって成された革命とは万人のためにあるものではないからだ。だから、国が民衆の力によって変わろうとも、国を信じてはならないということを、ワイダ監督はこの作品でも観るものに訴えかけている。民衆の手は、常に国を支えるべきであることを、ラストシーンは物語っているような気がする。