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八月の狂詩曲(ラプソディー) Comments (15)
この映画は戦争を伝えるメッセージとしては陳腐である。
新しい知見が得られるかというと疑問である。
思想的にはフラットな描写だと思うので、入門編で子供に見せたらどうか。
しかし、作品としての凄みは偏ってはいるが「はだしのゲン」の方に軍配が上がるだろうが。
原爆の傷跡は未だ残っていてそれでも我々日本人はアメリカ人の言いなりとして生きていかねばならない。それを戦前から生きている世代は苦々しく思うけれど、戦後生まれはアメリカ贔屓だったり、関心が無かったりする。そのギャップをおおよそ3世代に渡って対照的に描いている、しかも祖母の家に帰省するという形で上手に。
最初はアメリカ側家族からの純粋なオファーがくる。随分昔に生き別れたが、ハワイで成功した祖母の兄が余命幾ばくもない。死ぬ前に一目妹に会いたいのだという。当然、その兄以下は現地で作った家族なのでアメリカ人、兄自身も帰化している。
つまりはアメリカ側からの純粋な好意を持って始まる。
祖母は夫を原爆で無くしており、アメリカにいい感情は無いため、渋る。
子供達は戦争について知らず、旅行に行けるという無邪気にはしゃぐ。
その後、祖母の苦悩を知り、戦争の傷跡を知り、子供達の視点は変わる。
しかし子供達の親世代は、大成功した親戚がいると浮かれ始める。
純粋に子供達は大人の打算に疑問を呈し、その対照的な様が面白い。
過去は過去と祖母は次第に、生き別れの兄に会う決意を固めていく。
これが祖母とその兄が実際に兄弟であったという様々な証言を集めて行く過程で象徴されていると思う。
ここで大きな作品中の事件が起こる。祖母が「夫の命日が終わったら会いに行く」という手紙をハワイに送らせたことである。
打算的な親戚は、皆向こうの心情を害したのでは無いかと恐れ、あろうことか実際に手紙をしたため出した子供達を責める。その浅ましさに祖母は怒り、心を硬直させる。そんな中リチャードギア扮する、兄の息子に当たる人物が来日し、祖母の元へと会いにくる。真摯な態度で臨み、祖母の中のわだかまりは溶けて行く。
が、しかし悪いタイミングで訃報が届く。
兄の死だ。
祖母は大変後悔し、その日から認知症が進んでしまう。原爆の空模様の雨の日、勘違いして一人飛び出してしまう。
魅せ方などは上手いし分かりやすいと思ったが話のテーマにもう少し、ドラマとしての深みが欲しかった。素材というか戦争自体の重みにかまけてその辺の匙加減が薄いように思えるのは、好みの問題なのだろうか。
庶民の視点で描いた原爆、反戦映画としては「この世界の片隅に」を観た時ほどの魂を揺さぶられた何かが足りない気がする・・。世界の黒澤監督作品として、この凡庸さは何かと戸惑いながら鑑賞、答えが見つからないのであれこれ邪推してしまった。
有力な軍人だった父のお蔭か兵役免除、戦地にもいかず原爆投下当時35歳の新進監督、国威高揚映画を撮っていた黒澤明にしてみれば戦争と向き合う映画は辛かったのだろうか、80歳の晩年になって心境が変わり、戦中を生きたものの使命感として後世に非劇を伝えなければと思ったのだろうか。
ただ、祖母が語るピカドンや校庭に残る熱でひしゃげたモニュメントを通じてでは所詮、間接話法、当事者としての疑似体験の坩堝「この世界の片隅に」ほどの胸苦しさには程遠い。
リチャード・ギアまで仕込んで「罪を憎んで人を憎まず」と儒学的な原爆投下への解釈、世界観も間違っているわけではないが醒めている感が拭えない。反戦映画ではあるが小津の「東京物語」のような世代間ギャップに時に寄せて見せるのでテーマの解釈に戸惑ったのだが、痴呆の始まった祖母の奇行と追う孫たちのラストショットが戦争体験の風化、終焉を暗示しているようで警鐘としては圧巻だった。
脱線ですが劇中に小学校の教師だった祖父のオルガンが出てきます、長崎出身で一昨年逝かれたシャンソン歌手の古賀力さんが訳詩して唄われていた「先生のオルガン」が思い出されました。
まさに原爆で亡くなった先生のオルガンを懐かしむ教え子たちのレクイエムだったのです。
シューベルトの「野ばら」が主題の様ですが、知る人ぞ知る市井の名曲を黒澤さんには使って欲しかったと勝手に口惜しんでいます。
残酷な映像はなくても、原爆は決して落としてはいけないということ、どうして原爆はだめなのかという理由が明確に伝わる、強いメッセージを持った作品です。
戦争のことなんて知らないし考えない私の日々に、原爆の恐ろしさと、当時の人々の深い悲しみを伝えてくださいました。
ある日、お祖母さん(村瀬幸子)の下にエアメールが届く。
ハワイに住むお祖母さんの兄、錫二郎(で、大富豪)が、死に瀕してお祖母さんに会いたいという内容である。
手紙を書いたのは、錫二郎の息子のクラーク(リチャード・ギア)。
だが、お祖母さんは、錫二郎という兄の記憶がない・・。
孫たちの親たちは興奮して、ハワイへ行ってしまう。(ここら辺は唐突感を覚える・・)
そして、残された4人の孫たちは長崎の街から少し離れたお祖母さんの農家で夏休みを過ごす事になる。
(黒沢監督は邪念のある”大人”を退場させて、お祖母さんと孫の交流を描きたいのかな、と勝手に解釈。)
という設定のため、物語自体がファンタジーめいてくる。
そして、お祖母さんと4人の孫は少しづつ話をする中で、原爆でお祖父ちゃんを亡くしたお祖母ちゃんの気持ちを理解していく・・。
そこに突然、ハワイからクラークがやってくる。(私は彼を狂言回し的に観ていた。)
クラークとお祖母さんは言葉は余り通じずとも、心が通い合っていく。
(月光の下、二人が手を取り合いながら、縁側に座る姿は忘れ難い程、美しい・・。)
錫二郎の訃報が届き、ハワイに帰っていくクラーク。
お祖母さんは、徐々に哀しき過去を思い出す・・。
そして、流れるシューベルトの”野ばら”・・。
<物語自体、ファンタジー要素を纏いながら、”人間愛と希望と平和のメッセージ”を発信する作品。
吉岡秀隆、大寶智子(”1999年の夏休み”は忘れ難い・・)を始めとした孫たちとお祖母さんの不思議な一夏の美しい田園風景が忘れ難い作品である。>
■追記
当時の資料には、山田洋次監督の”フィルム窯変説”を始め、フェデリコ・フェリーニが黒沢明に宛てたメッセージが記載されている。
どちらも、必読の名文であると思う。
<1991年6月、劇場にて鑑賞 その後、DVDで、夏になると数度鑑賞>